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浦和地方裁判所 平成3年(ワ)1482号 判決

原告 髙橋永

右訴訟代理人弁護士 岩渕正紀

尾崎宏

被告 新永建設株式会社

右代表者代表取締役 清水澄

右訴訟代理人弁護士 伊藤末治郎

被告 株式会社三和銀行

右代表者代表取締役 川畑清

右訴訟代理人弁護士 野村重信

主文

一  被告新永建設株式会社は、原告に対し、別紙物件目録≪省略≫一及び二記載の土地及び建物につき、別紙登記目録≪省略≫一記載の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

二  原告の被告株式会社三和銀行に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用のうち、原告と被告新永建設株式会社との間に生じた部分は同被告の、原告と被告三和銀行との間に生じた部分は原告の各負担とする。

理由

一1  請求原因1(本件物件の所有権の帰属)の事実は、原告と被告新永建設との間においては争いがなく、原告と被告三和銀行との間においては成立に争いがない≪証拠省略≫によってこれを認めることができる。

2  同2(本件各登記の存在)の事実は、各当事者間において争いがない。

二  そこで、被告新永建設の抗弁について判断する。

1  右抗弁事実に沿うものとして、≪証拠省略≫(本件売買等契約書)、≪証拠省略≫(清水澄の陳述書)及び≪証拠省略≫(清水茂夫の陳述書)、証人清水茂夫の証言及び被告新永建設代表者清水澄尋問の結果が存在する。

2  しかしながら、この点に関する被告新永建設の主張及び右≪証拠省略≫の記載自体に不合理ないしは矛盾する部分が存在する。すなわち、

(一)  まず、被告新永建設は、本件売買等契約書の作成経過について、その平成四年三月一一日付け準備書面においては、原告の横領行為が発覚した後の昭和五二年二月一五日、原告と被告新永建設との間で本件物件の売買契約が成立し、その「所有権移転登記は、右契約に基づいて原告から交付された印鑑証明書等により行われたものである。なお、天理教の信者である原告は、右債務の処理を一応終えたのち、天理市の寺院で六か月修行に入っている。」として、原告が天理市に赴く前に本件売買等契約書に署名押印するとともに、右移転登記に必要な書類を整えてこれを被告新永建設に交付したと受け取れる主張をしていたのが、平成四年一二月八日付け準備書面においては、本件は売買等契約書は、「原告が天理市に行った後にタイプをし、これを昭和五二年二月一五日頃原告の修養先の天理市に持参してその内容を話したうえ、原告から署名をもらったもの」であり、「印は預かっていたものを被告代表者が押したが、当然原告の了解があった。」として、押印は必ずしも原告がしたのではないと受け取れる主張をしていた。しかし、平成六年一二月五日付け準備書面に至っては、清水澄は、本件売買等契約書と「長女から預かっていた原告の実印をもって、同人の修養先まで同人を訪ねた。そこで、原告の了解を得て署名押印をもらったものである。」、「重要なことなので原告本人に再度内容を確認させたうえ署名押印を得る必要があると考え、赴いたものである。」として、原告自身に署名押印して貰ったと受け取れる主張をするなど、その重要な部分について主張が変遷している。

(二)  本件売買等契約書自体、その形式が極めて不自然である。すなわち、右のような書面への契約者の署名捺印は、契約書本体の日付の次になされるべきが通常であると考えられるところ、これが右書面の別紙物件目録記載の末尾になされているという極めて変則的ないし不自然なものとなっている。

(三)  被告新永建設は、本件物件の原告からの権利移転の原因を売買によるものとするが、登記簿上は譲渡担保(前掲≪証拠省略≫)とされていて、矛盾している。

(四)  また、本件においては、被告新永建設が、本件物件の所有権移転の原因をその実体に即して売買とすれば、原告に譲渡所得税等が課税されることになるので、これを回避するため、税理士の指導によりいわば税金対策上作成したと主張する「譲渡担保契約書」(≪証拠省略≫、以下「本件譲渡担保契約書」という。)が存在するところ、被告新永建設は、右のとおり、本件物件の原告から被告新永建設への権利移転の原因が登記簿上、譲渡担保とされているにもかかわらず、右書面は、右登記の原因証書として使用したものではないとも主張するところであり、不可解である。

そして、いずれにしても右書面は、証人清水茂夫の証言によっても、被告新永建設が原告の関与なく作成した偽造にかかるものというべきである。

同時に、右書面は、本件売買等契約書と同日付けで作成されているのであるから、右契約書同様、原告にその作成についての承諾を得るについては何らの支障もなかったものと解されるところ、敢えてこのような文書を作成しているということ自体、そこには本件物件の処理にあたっての被告新永建設の作為の存在が窺われ、ひいては本件売買等契約書の作成の真正についても疑問を生ぜしめるものとなっているというべきである。

(五)  さらに、本件売買等契約書によれば、昭和五二年二月一五日当時、原告が被告新永建設に負っていたとされる債務の総額は二七一五万六七九五円で、そのうちいわゆる横領事件による原告の債務額は二一七二万五八六六円であり、これに対し本件物件の時価評価、すなわち売買代金額を二〇〇六万四五〇〇円として、これらを相殺勘定し、その残額が七〇九万二二九五円あるとしている。他方、本件譲渡担保契約書は、右のとおりの原告の関与なく、いわば内部的な事務処理のために作成されたものであるから、より実体に即した内容になっているとも解されるところ、これに記載された債務額は、右同日現在で一一九八万九二〇三円とされていて本件売買等契約書とは矛盾する内容となっている。このようなことを考えれば、本件売買契約時に、右代金に充当されたとする原告が被告新永建設に負っていたとされる債務額が右二七一五万六七九五円であったと確定すること自体困難であるというべきであり、そうすると、右の相殺充当の事実ひいては本件売買等契約締結の事実自体も疑わしいことになる。

3  以上の事実に加えて、弁論の全趣旨により成立の認められる≪証拠省略≫の一、二、被告新永建設との間においては成立に争いがなく、被告三和銀行との間においては証人髙橋静江の証言により成立の認められる≪証拠省略≫(≪証拠省略≫については原本の存在共)、成立に争いのない同≪証拠省略≫、証人髙橋静江の証言及び原告本人尋問の結果によれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和四〇年その妻静江の父である清水澄の経営する株式会社清水組(以下「清水組」という。)に入社したところ、昭和四七年、独立して有限会社七海興業(以下「七海興業」という。)を経営しようと試みたが、昭和四九年にはその経営に失敗し、債権者からの急な取立をも受けるような事態となったため、清水澄に右七海興業の負債の肩代わりをして貰うなどしてこれを整理した。

同時に、静江は、このような状態のままでは本件物件の所有権をも失ってしまうことを按じ、清水澄に対し、本件物件の権利証及び原告の実印とを預かって貰い、事態が落ちついた時点で返還して貰うとのつもりでこれらを交付した。

しかし、後記のとおり、原告自身は昭和五三年まで、右の事実を知らなかった。

(二)  その後、清水澄は、原告の再起を期させるべく、昭和五〇年四月三日、原告名に因んだ被告新永建設を設立し、原告及び妻静江を役員に就任させるとともに、その実際の営業は原告において行わせることとし、同時に、右清水澄が七海興業倒産に伴って立替払いした債務は、右被告新永建設の営業活動による利益の中から弁済させることとした。

(三)  ところが、昭和五一年九月、原告が親会社である清水組の指示による外注予算を無視し、それ以上の金額で下請に発注したり、その資金操作の為に取引先から集金した売上金を正規の経理処理をせずに直接右の下請の支払に充てたりし、或いは右売上金を自らの賭け事にも費消していたことなどが発覚した。

(四)  これに立腹した清水澄の指示により、原告は、昭和五一年一〇月一五日から同五二年六月二〇日まで京都市を経て天理市に修養に行くこととなり、右の間原告は、一度も帰宅することはなかった。

(五)  その間の昭和五二年二月一五日ころ、清水澄は、天理市に原告を尋ね、白紙を出して、「高橋、悪いけれどもこれにサインしてくれ。」ということであったので、原告は、前記(三)の不祥事に伴う債務の整理に関し必要があるのかと思い、同時に、これまで散々世話になり、迷惑も掛けてきた清水澄に対し、これに抗し得るような事情にはなかったため、いわれるがままに住所を記載するとともにこれに署名した。

ただ、その実印は、前示のとおり静江が清水澄に預けたままであり、原告は、右書面に押印したとの事実はない。

また、原告が天理市に滞在中、静江は、毎日のように実家である清水澄方に行っていたが、本件物件の処分に関する話は一切出なかったし、本件売買等契約書の副本や写しの交付を受けることもなかった。

(六)  ところが、昭和五三年頃、本件物件についての固定資産税の通知が来なくなったことから、静江が母に事情を聞いたところ、同人は、本件物件の権利証等を原告に預けておくと土地も家も無くなってしまうので、これを清水澄が預かることとしてその名義を被告新永建設名義にしておいたが、原告の長男が成人したときには右の所有名義を原告に戻すとの話であった。

これに対し、原告は、前示のとおり被告新永建設に対して債務を負担していたことから、本件物件を担保として差し出す形となっていることも止むを得ないとの認識であった。

しかし、実際に登記簿謄本を取り寄せて、どのような原因で本件物件の所有権の移転登記がなされているかについては確認しないまま経過した。

同時に、原告は、清水澄との間で、原告及びその妻静江の被告新永建設における報酬の中から、同被告に対する前記(三)による損害金を昭和五一年二月から原告一〇万円、静江五万円、合計一五万円ずつ毎月返済していくことを約束していたため、これより約一〇年経過すれば、その合計が約二〇〇〇万円になるところからしても、右所有名義の回復が実現するものと考えていた。

現に、昭和六〇年二月二八日頃には、清水組の経理担当部長である秋山森男においても、昭和六一年二月二八日をもって右支払いが完了する計算となることを確認している。

つまり、仮に、前記(三)により原告が被告新永建設に対して負担する債務があったとしても、右の計算によれば、その合計額は、右毎月一五万円に一一年と一か月を乗じた一九九五万円に止まるものであり(この点につき、被告新永建設代表者清水澄も、その尋問において、本件売買等契約書記載の二七一五万六七九五円は、七海興業の債務の立替金と昭和五一年のいわゆる横領事件による損害賠償請求権との合計額であり、右損害賠償請求権は約一七〇〇万円に止まるとも供述しているのである。)、かつ、原告においては、右昭和六一年二月二八日まで毎月一五万円ずつの弁済を継続してきたのであるから、右債務は既に完済された勘定になる。

しかしながら、被告新永建設は、右昭和六一年二月二八日以降もまだ三〇〇万円ほど債務が残っているので引き続き原告及び静江の給料から差し引くということであったので、結局原告が被告新永建設を辞めるまでの昭和六二年三月まで、毎月一五万円ずつ返済を続けてきた。

(七)  ところが、原告は、平成三年新しく事業を起こすことを計画し、会社を設立するに当たっての資金手当てのために本件物件を利用することを考え、本件物件の権利証の返還を求めて清水組の専務取締役であり静江の弟である清水茂夫と話し合ったが物別れになっていたところ、同年五月一六日、被告新永建設からの内容証明郵便により本件物件の明渡しを求められるに至り、その頃本件売買等契約書の写しを示されて始めて右書面が作成されていることが判明した。

4  右の事実が認められ、これに反する≪証拠省略≫(清水澄の陳述書)及び≪証拠省略≫(清水茂夫の陳述書)、並びに証人清水茂夫の証言及び被告新永建設代表者清水澄の供述は、これまで認定した各事実及び前掲の各証拠に照らして信用し難く、他に、右認定を左右するに足りる証拠はない。

5  そこで、前示2及び3において認定したところにしたがって、被告新永建設の抗弁事実の存否について検討する。

(一)  まず、抗弁(一)の本件売買契約の成否についてみるに、

(1) 被告新永建設が本件売買契約に当たりその売買代金に充当したと主張する原告に対する損害賠償債権自体、にわかには確定し難いものというべきである。そして、仮に、これが存在したとしても、原告は、その後毎月弁済を継続し、その総額は二〇〇〇万円以上になっていて既に完済したとも解し得ることからすれば、いずれにしてもこのような債権をもって、それ以前の右売買代金債務に相殺充当したとすること自体、相矛盾するものであり、この点からも本件売買契約締結の事実は疑わしいものというべきである。

(2) さらに、その形式についても、≪証拠省略≫の本件売買等契約書は、原告が清水澄の求めに応じて白紙に住所を記載して署名したものを、後日、被告新永建設においてその余の部分を記載したものといわざるを得ず、これをもって本件売買契約を証するものとすることはできない。

(3) これらの事情を総合考慮すれば、結局、本件全証拠によるも、被告新永建設の抗弁(一)の事実は、これを認め難いものというべきである。

(二)  また、同(二)の原告が被告新永建設に対し、本件物件について、売却処分をも含め一切の処分権限を付与したとの事実は、証拠上、なおさら認め難いものというべく、右抗弁も理由がない。

6  よって、被告新永建設の抗弁は、いずれも理由がない。

三  次に、被告三和銀行の抗弁について判断する。

1  抗弁(一)の本件根抵当権設定契約の締結について

被告三和銀行は、平成三年六月二六日、被告新永建設との間で極度額を六七〇〇万円とする根抵当権設定契約を締結したとの事実は、前掲≪証拠省略≫によって認めることができるところ、被告新永建設が原告から本件物件の所有権を売買等正当な権限によって取得したと認めることができないことは既に判示のとおりであるから、これを前提とする抗弁(一)は理由がない。

2  抗弁(二)の民法九四条二項の類推適用について

前示のとおり、被告新永建設は、原告の承諾を得ることなく本件物件について本件所有権移転登記を経由したものというべきであるが、このように不実の所有権移転登記の経由が所有者の不知の間に他人の専断によってされた場合でも、所有者が右不実の登記のされていることを知りながら、これを存続せしめることを明示または黙示に承認していたときは、民法九四条二項を類推適用し、所有者は、その後に当該不動産について法律上利害を有するに至った善意の第三者に対して、登記名義人が所有権を取得していないことをもって対抗することを得ないものと解するのが相当である(最高裁昭和四五年九月二二日民集二四巻一〇号一四二四頁参照)。

しかるに、本件においては、前示二3(六)のとおり、原告は、昭和五三年頃、本件物件についての固定資産税の納付の通知が来なくなったことを契機に、実際には登記簿謄本を取り寄せることはなかったものの、その登記名義が被告新永建設名義になっていることを知ったこと、そして、原告は、被告新永建設及びその代表者である清水澄に対して債務を負担していたことから、本件物件を同被告に担保として差し出しているとの認識もあったことの各事実が認められ、右事実によれば、原告は、本件物件の所有権が被告新永建設に移転されていることを知りながらこれをやむを得ないものとして黙示的に承認し、かつ、放置してきたことが認められる。

そして、証人清水茂夫の証言によれば、被告新永建設が本件物件を被告三和銀行に担保に供する際、被告新永建設は、原告からの所有権移転の登記簿上の原因は譲渡担保となっているが、これは経理処理上このような形式を取っているにすぎず、実際には売買によって所有権を取得した完全な所有権者であると説明し、また、前掲≪証拠省略≫によれば、本件物件には、被告新永建設への所有権移転登記がなされた昭和五二年以降、本件根抵当権設定登記のなされた平成三年六月二六日までの間、昭和五七年一月二二日には債務者を被告新永建設、抵当権者を中小企業金融公庫とする債権額二〇〇〇万円の抵当権設定登記が、昭和五八年七月一日には債務者、抵当権者を右と同じくする債権額一五〇〇万円の抵当権設定登記が、さらに、昭和五九年三月八日には債務者を被告新永建設、根抵当権者を株式会社東海銀行とする極度額一〇〇〇万円の根抵当権設定登記が各経由されていることが認められ、他に、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、被告三和銀行は、本件根抵当権設定当時、被告新永建設が本件物件を所有していることについて、善意であったものというべく、民法九四条二項の類推適用により、原告は、この登記の無効をもって被告三和銀行には対抗することはできない。

なお、原告は、本件のような事案について民法九四条二項が類推適用されるのは、登記という外観に基づいて取引関係に入った善意の第三者を保護するためであるところ、本件における所有権移転の登記原因は譲渡担保となっている。そして、譲渡担保と売買とでは所有権の移転の仕方、移転の効果等を著しく異にするから、通常譲渡担保の登記原因をもって、実際には売買があったと信頼することはできないはずのものであり、したがって、本件においては、そもそも保護に値する信頼の対象となるべき外観自体がないのであるから、民法九四条二項を類推適用する前提を欠く旨主張する。

しかしながら、所有権移転の登記をするにあたり、その登記原因とされているところと、実際の権利移転の原因とが異なっていることはまま見受けられるところである上、殊に本件においては、右のとおり被告新永建設に本件所有権移転登記がなされてから、被告三和銀行が本件の抵当権を設定するまで一〇数年を経過し、かつ、その間、三度にも亘って本件物件が金融機関に対し担保に供されているとの事実が認められるのであって、そうだとすれば、被告三和銀行がその登記の記載にしたがって、真実被告新永建設がその所有者であると信じるについては十分な理由があるというべく、右原告の主張は、失当である。

3  右によれば、被告三和銀行の抗弁(二)は、理由がある。

三  以上によれば、原告の被告新永建設に対する請求は理由があるからこれを認容し、被告三和銀行に対する請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 梅津和宏)

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